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『電気の周波数統一は「国家百年の計」だった』(牧潤二)

わが国の電気の周波数は、東西で、50ヘルツ、60ヘルツに分かれています。それを統一しようという動きは、大正時代からありました。
大正末、東京市政調査会が周波数問題に取り組み、直流送電を主張。
大正12年、電気協会が「周波数統一調査委員会」を設ける。
大正12年、関東大震災の教訓として、東西で電気を融通するため周波数の統一の必要性が再認識される。
大正15年、同協会の委員会は周波数の統一の必要性は強調したが、統一は打ち出せず。
大正15年、貴族院・公正会が周波数の統一を主張。
昭和8年、50と60ヘルツが混在する満州の周波数を50ヘルツに統一決定、統一に成功。
昭和18年、大東亜電力懇談会が「大東亜共栄圏」での周波数の統一を打ち出す。
昭和16~19年、国策会社・日本発送電が周波数の統一を検討、国内で推進。

終戦直後の昭和20年秋、終戦直後に、電力界首脳や行政が電気の周波数(50/60ヘルツ)統一に向けて動き始めました。
昭和20年12月、政府(商工省)は調査委員会を設置し、周波数の統一を検討を開始します。
昭和21年1月、調査委員会が第一回会合を開き、商工大臣は「国家百年の計」と挨拶します。ここから、密度の濃い議論が続くことにります。
昭和21年5月、調査委員会は5か年計画で全国を60サイクルにすると答申、法案要綱も作成します。
一方で、昭和21年5月以降、GHQの方針により、電力界首脳や商工大臣が次々と公職追放されます。
また、調査委員会の答申以後、急激に電力使用が増え、政府は周波数の統一に取り組めません。
昭和25年、世界動力会議において、電気業界技術者が周波数統一の必要性を訴えます。
しかし、周波数の統一はできず、現在に至ります。

ちなみに、東日本大震災/原発事故の後、政府において、周波数の統一も検討課題に挙げられましたが、ほとんど検討はされませんでした。

現代において、その先人たちの議論と努力を振り返ることは、意義のあることだと思われます。