取材のメモ

 『人造石油のまぼろし』


 先の大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)を科学技術の視点からみていきたいと思い、いろいろと調べています。
 石油がないのに、日本はなぜ戦争をしたのか-。この疑問に対する答えの1つが、「人造石油」です。日本は、石油禁輸になっても、主として石炭をもとにして作る「人造石油」によって何とかなる、と考えていました。このような疑似科学に基づく政治では、科学的な判断ができません。こうして、戦争への道を突き進んでいったわけです。
 日本は、「人造石油」の準備を昭和11年頃から本格的に始め、昭和12年には人造石油を製造するための法律を作り、それに基づく国策会社「帝国燃料」を設立します。
 それらの動きを、年表にまとめてみました。
 

 【人 造 石 油 の 年 表】

大正10年 海軍の徳山燃料廠創設(海軍は比較的早くから石炭液化研究)

大正12年 陸海軍や関係各省が液体燃料政策について討議

大正15年 商工大臣管理下に燃料調査委員会

1926年  ドイツI.G.染料会社のロイナ工場に世界初の褐炭液化工場(水素添加法)建設

昭和元年(1926年) フィッシャーとトロプシュが報告

昭和2年 京大の喜多研究室で触媒の開発研究に着手
(コバルトは高価なので、鉄を主成分に)

昭和3年8月 燃料調査委員会が答申。この中で石炭液化、石油合成の研究なども挙げる

昭和5年6月 商工審議会が「石油石炭及びその代用燃料に関する具体的国策」答申
(ここでは石炭液化の研究が強調される)

昭和8年頃から燃料協会誌や「海燃報」などで人造石油に関する話題が多くなる

昭和8年6月、液体燃料問題に関する関係各省協議会

昭和8年9月、実施要領
 (第65回議会)

昭和9年3月、石油業法公布

昭和11年1月 業界誌で海軍中将が「石油問題一家言」

昭和11年2月 三井財閥がドイツのフィッシャー法の特許権譲渡正式契約

昭和11年2月 徳山で石炭液化の会議
(各研究機関が協力して行う、という方向が出る)

昭和11年5月 衆議院の主要産業統制法改正委員会で、石油問題が多く論じられる

昭和11年6月 液体燃料問題に関する関係各省協議会が再開

昭和11年7月 燃料対策実施要領
(わが国の液体燃料政策を本格的に軌道に乗せる方向が打ち出された
  → 石油代用燃料工業の助成)

昭和11年11月 業界誌で「人造石油工場助成に関する大計画」の記事

昭和12年2月24日 衆議院における関税定率法中改正法律案委員会にて、片山委員(民)の質問に対して、伍堂商相が「7年後に200万tの人造石油増産を図る」と言明

昭和12年3月25日 衆議院委員会で栗山委員が「法案が突如として現れた」「将来にわたって石炭の供給について十分成算があるか」「貯蔵するには実に莫大な費用」と。海軍は、工業化に自信を持っている、と。(この国会では成立せず)

昭和12年3月27日 燃料協会が「人造石油講演会」。聴衆600人という多数でレコード

昭和12年7月の衆議院委員会で、人造石油法案が出て吸収の誘蛾灯に使う油の値段が上がる、というエピソード紹介

昭和12年7月 衆議院委員会で星委員が「私は必ず5年を出ずして(略)液体燃料が発達すると信じており」と。松永委員「奨励金の財源は何か」と。

昭和12年8月10日 人造石油製造事業法及帝国燃料興業法公布

昭和13年以降約4年間、燃料局人造石油課長として、榎本隆一郎

昭和15年 日本の出炭量はこの年がピーク(5,930万t)、以後減産

昭和16年3月 同法改正

昭和16年10月 人造石油として生産が最も確実な低温乾溜方式を採用することに決定
(帝燃社内に「低温乾溜臨時建設部」できる)

昭和16年12月 勅令を改正(原料などを幅広く)

昭和17年12月 滝川で最初の人造石油が産出(結局、終戦までに3万トン)

昭和18年 『石炭節約と熱管理』出版(石炭を人造石油に使うどころでなかった)

昭和19年11月 南方からの原油輸送が中絶状態になり、再び日満支における北方圏液体燃料自給体制強化が要望されるに至る。
(陸海軍と軍需省が緊急対策)

昭和20年1月 ドイツIG社と水添法のパテント契約

昭和20年7月 米軍第315航空団は、宇部の帝燃(宇部油化工場)が日本で最大の人造石油工場であるとし、壊滅をねらって3回にわたる集中攻撃を行う

昭和20年12月 人造石油製造事業法が廃止

昭和22年5月 GHQは、人造石油各社のうち5工場について詳細な調査の要求を出す

1949年(昭和24年) 西独の合成石油プラント、全面的に撤去

昭和24年7月7日 帝燃解散、清算へ

昭和24年11月 帝国燃料興業株式会社法を廃止する法律案
(国会で「約70万t程度の製造に終わった」と政府答弁)

昭和27年 北海道・滝川の人造石油工場が倒産

(以上)

 

 誰でもできるパソコン手品

  パソコンを使った手品のタネを、いろいろと紹介しましょう。
  まずは、古典的な手品のテクニックを、パソコンの領域に応用したものです。

 ▼未来を予知する
 相手に1~3くらい(最低限1~2)の数字を頭に思い浮かべてもらうのですが、その数字を事前に予測し、すでに紙に書いておいて、相手を驚かせる、という手品です。
 これは、事前の準備がすべての手品です。パソコンの周辺を見渡してください。通常の据え置き型のパソコン、ノートパソコンそれぞれに、プリンターがつながっているはずです。また、据え置き型(デスクトップ式)のパソコンなら、近くに独立した形のディスプレーがあるはずです。これで、パソコンと周辺機器のうち重さが比較的軽いものとして、キーボード(ノートパソコンの場合はパソコン本体を兼ねる)、プリンターの2つはあるはずです。また、一太郎、マイクロソフトオフィスといったアプリケーションソフトのパッケージ(箱)があれば、それも活用します。ここでは、(1)キーボード、(2)プリンター、(3)箱、の3つがあるとします。
 事前の準備として、3センチ四方くらいに切った紙を3枚用意します。次に、1つの紙には数字の「1」、もう1つには「2」、最後の1つには「3」を書きます。次に、キーボードの裏には「1」の紙、プリンターの裏には「2」の紙、箱の裏には「3」の紙を貼ります。何の裏にはどの数字を貼ったか、必ず覚えておいてください。ここでは、パソコンおよび周辺機器として使用頻度が高い順に数字を貼った、と理屈を付けて覚えておきましょう。これで、準備はできました。この後で、人を呼んで、手品を見せることになります。
 いよいよ手品の開始です。
 「さて、最初は小手調べだよ。これから、君が頭に思い浮かべる数字は、もうぼくはわかっているんだ。ここにある紙に、もう、その数字を書いているんだよ。1~3までの数字を、頭に思い浮かべてくれるかい。ありがとう。数字は、いくつだい?」
 「2だよ」
 「数字が2だということは、予知していたよ。プリンターの裏をみてごらん」
 ここで、相手に、プリンターを持ち上げてもらって、その裏を見てもらいます。事前に準備していたので、「2」と書いた紙が貼ってあります。
 もし、相手が「1」だと言ったのであれば、その数字に合わせて「キーボードの下を見てごらん」といえばよいわけです。
 この手品の場合、相手に機器を持ち上げてもらうので、例えば17インチのディスプレーなど重いものを使うのは無理です。ですから、液晶式の比較的軽いディスプレーなどがある場合は、それも活用し、「4」と書いた紙を貼っておき、相手に対して1~4の数字を思い浮かべてもらって、良いでしょう。

 [注]これは、あくまでも、1回しかできない手品です。最初に実演するか、中程で実演するかは、その日の全体の構成を考え、決めてください。


 追記 筆者と手品の関係
 筆者の場合、医学ジャーナリストという科学の立場から、いわゆる超能力はすべて手品であるという観点で、手品に興味を持つとともに、その超能力(手品)の方法について研究してきました。
 また、かつてはラジオにおいて音だけを使って手品をしたマジシャンがいましたが、これほどパソコンが普及した今、パソコンを使った手品の手法があるのではないか、と考えました。今回紹介したのは、そのほんの導入部です。

 (以上)